痛みを止めようとするのは間違い?痛みのメカニズムを知る。

岡田 哲也(おかだ・てつや)
痛みの解消法

SHARE

誰もが体験したことのある感覚、「痛み」。おそらく痛みなんか知らないという人はいないと思いますが、この痛みという感覚をきちんと理解できている人もまたほとんどいないのです。

しかし、その「痛み」から解放される一番の近道は、この痛みを理解することなのです。

1.痛みのない生活は快適なのか?

1.1 痛みのない生活

おそらくすべて人が不快な感覚と感じるであろうこの「痛み」。では、この感覚がなければ、もっと快適な生活を送れるのでしょうか?

もし、仮に「痛み」という感覚が存在しなかったら、人は幸せになれると思いますか?

痛みのない生活を想像してみてください。普通に快適に生活をしている限り必要ないし、みんなで楽しい時間を過ごしている時に、痛みは必要ありません。逆に楽しいはずの食事の時間が、頭痛で台無しになってしまった…、何てこともあるかもしれません。私たちの生活には全く必要がないと思われる痛み。

本当に痛みがなければ、毎日を快適に暮らるのでしょうか?

今回はそういった視点から「痛み」を掘り下げてみます。

痛みは必要?

1.2 痛みがないということは

痛みがないことは快適であることには間違いありません。しかし、それは平常時に限られることであって、緊急時となれば話は別です。

身体が壊れそうな時、また壊れる可能性のある時には必ず痛みを感じます。痛みは身体の警報器、言い換えれば「カラダの声」です。

痛みを感じない身体は、例えるなら火災報知器を設置していない高層ビルのようなものです。会議中に火災報知器が鳴り響けば、当然うるさく感じますが、避難をしたり、消化活動を早期に始めたりすることができ、被害を最小限に抑えるためには必要なものです。火災報知器がなければ、被害は拡大し、ビルは全焼してしまいます。

痛みは体を守るためのお知らせ

1.3 痛みに教えられること

人は生まれたその時から、さまざまな経験をして成長していきます。

多くは家族から愛情を持って教えられることがたくさんありますが、少し大きくなって動くことができるようになると、自分の身を持って経験を積んでいくことも少なくはありません。

たとえば、はいはいをしていて少しの段差から滑り落ち、痛みを感じて泣く。なんどか同じことを繰り返すことで、落ちることはなくなります。

もしこのとき、痛みを全く感じなければ、もっと高低差のあるところから落下してしまうこともありえます。

痛みを訴えることも泣くこともしなければ、親も我が子のカラダが壊れていることにも気づかず、この先の生活や成長に支障をきたすことになります。

赤ちゃんハイハイ

2.痛みは本当に必要なのか?

2.1 もし痛みがなければ…

痛みは我々が成長していくために必要な感覚であるとも言えます。

熱いものに触れれば、反射的に痛みを感じて触れた手を遠ざけようとします。もし痛みを感じなければ、その手はやけどのために機能を失ってしまいます。またその熱いものが、火、そのものなら当然手は焼けてしまうでしょう。

怪我をすれば痛くてあたりまえ。痛みがなければ体は崩壊してしまいます。

痛みはこのように、人が生きていくうえで必要な感覚なのです。

言いかえれば体が発している注意、警告なのです。

けがの痛み

2.2 痛みはあなたの反面教師

痛みはあなたがしてはいけないことを教えてくれている、反面教師のようなものです。

甘いものばかり食べて歯磨きをしなければ虫歯になって痛みが出ます。食べすぎるとお腹が痛くなり、飲みすぎた翌日は頭が痛くて反省します。

「もうあんなに無茶に食べたり、飲みすぎたりするのはやめよう…」って。

しかし、数日経てば忘れてまた同じことをしてしまうんですよね。

このように原因がわかっていて、それもその原因が自分自身にある時にはその痛みに対して、「仕方ない、自分のまいた種だから…。」と納得できるようで、そのうち痛みも消えていくのです。

このように生活習慣の中での痛みがもしなければ、身体はすぐにボロボロになってしまいます。

疲れてボロボロ

2.3 痛みは教育の原点?

人間も含めて、本来動物の多くは痛みを感じ、その痛みを避けるように生きているはずです。

動物のしつけや調教にムチなどを使って、してはいけないことをした時や、言うことを聞かなかった時には、それを痛みによって教えるということは、言葉によるコミュニケーションが取れない関係の中では必要なことなのかもしれません。

おそらく動物たちは自分自身の「痛み」というものに敏感に反応して、そのカラダの声に逆らわないような生き方をしているように思えます。

人間の社会では、もちろんお互いのコミュニケーションがうまくできるような努力をして、痛みによる教育はしないことが最善ではありますが、その結果、「痛み」という感覚を動物たちのようにカラダの声として聞くことができなくなっているようにも感じます。

単に痛みを悪いものとして感じるのではなく、カラダの声として感じることも、私たちが生きていく上で大切なことだと頭の隅に置いておくことも大切なことだと思います。

shutterstock_181971527

3.医学で明かされていない痛みの役割

3.1 医療の中での痛み

痛みがカラダの声だと頭では理解しているつもりでも、やはり痛みがあれば不安になり、第一選択としては薬や医療に頼ってしまいます。

では、これら痛みの全てに関して医療がフォローをしてくれるのかといえば、決してそうはいかないようです。もちろん、怪我などの明らかに原因がわかっている痛みに関しては問題なく、医療と時間が解決してくれます。

しかし、原因のわからない突如襲ってきた痛み、また慢性的な痛みに関しては、医療の中でそれを完全にフォローしてくれることはありません。治療としてなされることは鎮痛剤の投与に過ぎず、時間が解決してくれることもありません。

医学の中でも、痛みは注意、警告であるという考えは存在するようです。日本ペインクリニック学会の「痛みとは?」という文節の中に、次の一文があります。

『痛みを伝える機能は、身体に迫ってくる危険を察知し、これを回避するという生体防御機構の一部であり、警報としての大切な役割を担っています。しかし、警告としての役割が必要ない状態になっても、痛みが残っていたり、長く続くこともあります。病気が不安なものや怖いものである原因の1つは痛みをもたらすからです。この警告の役割がなくなった痛みやもともとその役割を持たない痛みは生体にとって嫌なものでしかありません。人にとって嫌なものである痛みがたくさんの人々を苦しめているのが現状です。』

このように、医学の中での痛みの見解として、それが体からの注意、警告という認識はあるようですが、さらに一歩踏み込んで考えていただきたいことは、ここで言う「役割がなくなった痛みや、もともとその役割を待たない痛み」に関してなのです。

困り果てる

3.2 痛みをさらに理解する

役割を持たないと思われているその痛みにも、実はちゃんと役割があります。人にとっては嫌なものでしかなく、たくさんの人々を苦しめていると思われている「痛み」。その役割に気づいて理解しなければ、その痛みから解放されることはありません。

医療、医学の中で単に人々を苦しめていると思われている痛み。

それは、注意、警告というよりも、むしろカラダの声であり、時にはカラダの叫びであることを理解していただきたいのです。

怪我や病気に伴って現れる痛みとはまた違う痛み。つまりその原因が医療のカテゴリーにはないため、医療では扱われていないのです。

もっと言えば、現在の医療ではこの痛みを取ることはできません。

痛みの役割が理解されなければ、当然痛みを消そうとすることしか考えません。

痛みがカラダの叫びであるということに気づいていないのです。

現に医療では、「この警告の役割がなくなった痛みやもともとその役割を持たない痛みは生体にとって嫌なものでしかありません。」と言っているのですから。

しかし、実際にはけっして単に嫌なものではなく、大切なことを我々に知らせようとしているのです

体の叫び

3.3 痛みが知らせてくれること

では、実際に「痛み」は何を知らせようとしているのでしょうか?

そのひとつが、身体のゆがみです。

そもそも人間はたいへん不安定な形をしたバランスの悪い物体です。それも四つ足の動物とは異なり、この不安定な物体を二本の足で支えなければなりません。

重心も下より上が重く、自覚はなくとも本来普通に立っているだけでもかなりの力を要しているのです。

そんな現実、自覚していましたか?

そんな物体に左右のバラつきやゆがみが生じると、それを脳が感知し全身を駆使してその体制を保とうとします。初期状態としては主に骨格筋を緊張させて、この不安定な状態をなんとか改善させようとコントロールします。その結果、過度に緊張した筋肉には痛みを感じるようになります。

逆に言えば、その痛みこそが体のゆがみを知らせようとしているカラダの声とも言えるのです。しかし、人はこの声を不義理にも消すことしか考えていません。体の異常を知らせてくれているにも関わらず・・・。

体のバランスが不安定

4.カラダとのコミュニケーション

4.1 カラダだって病気になんかなりたくない

不安定な身体を支えようと過度に緊張した筋肉は、その意味が理解できなければ不快な状態でしかなく、その痛みを消すために揉みほぐし、一時的に解消したかのような感じを受けます。

しかし、本来その筋肉が緊張することが不安定な体を支えているのですから、脳はすぐさま元通りの緊張した状態に戻すか、また別の部分を緊張させてなんとか不安定な体を支えようとします。

不快だと感じる状態に戻るのです。当然また、その不快さを解消すべく、緊張した筋肉に対して何かしらのアプローチをするでしょう。そんなことを繰り返していると、多くの場合不快な感覚は徐々に増幅し、痛みを強く感じるようになります。

また、緊張の範囲は骨格筋にとどまらず、目や耳、歯牙などの関連する様々な器官や臓器などの深部組織などにも広範囲に感じることとなり、それが症状となり、病名が付けば病気となるのです。

体の不調の原因

4.2 カラダからのお知らせこそが痛み

痛みはあなたの身体が善意をもって知らせてくれているもの。

そもそもこれらの症状の発端はカラダの声です。身体の異常を知らせてくれている善意であるはずなのです。

一般的にも、大切なお知らせをしたにもかかわらず、それに対しての反応がない場合は、再度お知らせをするか、違う形でもっとわかりやすくお知らせをするのが常識です。

しかし、そのお知らせをもみ消されたり、まるで騒音かのような扱いを受けたりしたのであるなら、さらに大声でお知らせを繰り返すか、または広範囲で一斉にお知らせをするか、という手段に出ざるを得ません。

そう、このお知らせこそが痛みです。

叫ぶ

4.3 カラダとの共通の言語

痛みに苦しんでいる時には、自分自身の脳に振り回されている状態。

カラダはしゃべることはできないかわりに、さまざまな感覚をコミュニケーションの手段としているのです。痛みもその中のひとつ。それを理解することが、痛みから解消されるための一番の近道であり、唯一の方法かもしれません。

自分自身の身体を知るためには、その全ての中枢である脳の発信する感覚に気づくことです。承知の通り、脳が実際にしゃべったりすることはありません。しかし、常に何かを知らせるために発信しているのです。

自分自身をコントロールしている脳とコミュニケーションをとるために、共通の言語を見出すこと。

これが我々が楽しく、幸せに生きるためにするべきことです。

能

5.まとめ

痛みはカラダの声。脳が発信するコミュニケーションの手段です。

カラダが何かを知らせようとしてくれているのに、いきなり「黙れ!!」はないですよね。痛みを止めるということは、ある意味そういうことだとわかっておくべきです。

もちろん、痛みは辛いものです。まずは身体のバランスを整える努力をして、それでもダメなら病院へ走りましょう。そして、その痛みがもし原因不明の痛みとなれば、もう一度この記事をよく読み直して、身体のバランスをじっくりと整えてみてください。(身体のバランスの整え方はこの記事を参考に)

身体出力を上げる脳が望む身体の使い方!|Brain's Consensus Communications

「痛みが和らいだ!」
「いい情報だった!」

と思われた方は、
ぜひご友人やご家族にも教えてあげてください。

Neuro-Awareness
Neuro-Awareness BLOG
トップへ戻る トップへ戻る